脳みそ拡張装置は、僕が考え事をする上で欠かせない

ども。

 

どんどん面白い物事が登場してくるのをtwitterなどでもヒシヒシと感じていて、自分の生き方も変幻自在に変えていけたら楽しいだろうな、と考えています。そんなこともあり、これから人生を通してどういうことをやっていこうかと改めて考えていました。

そこで、どうも自分は同じ事柄を堂々巡りしているだけで全く考えられていないのでは?ということに気づいたのです。

 

今日の本題は本の紹介ではないのですが1つだけ、考えることを構造化するための目から鱗の喩え話が紹介されていました本に出会うことができました。

『「言葉にできる」は武器になる。』 – 2016/8/26梅田 悟司   (著)

それが、

頭の中の情報を広げられる容量=「机の広さ」

というイメージです。

限られた机の面積に、様々な情報が書かれた資料をこれでもか!と集めてきてしまうと、新しい考えや自分なりの仮説を生み出すような余裕はなくなってしまうというのです。これには、僕も「参った!」という感じで心当たりがあり、周到にデータや事例などを集めた結果、それらを頭で覚えておくだけでも精一杯になってしまう時がこの状態なんだと理解しました。

 

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ようやく本題なのですが、このように自分の脳みそは限られたスペースでしか同時に物事を扱えない、という気づきから、僕が考え事をする上でもっとも適している場所は本屋ではないか?という仮説に至りました。

これまでも感覚的に本屋は好きでしたし、整理された情報が足元から頭上まで陳列されている空間だからか、新しい気づきが得られて楽しいなぁと感じていました。

それがまさか、本屋が自分の「脳みその拡張装置」として機能しているではないか!というのは面白い気づきでした。本屋にいけば精緻に分類された情報が一覧となって目の前に広がっています。それぞれの本(情報)の違いやつながりを考えることも容易ですし、時に全く別のことを考え込んでからすぐに元の情報を参照することも可能です。

さながら、自分の頭の中のイメージやデータをいくつものディスプレイに写し出している為替トレーダーのような気分です。

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具体的に情報が自分の頭の外に吐き出されるとどうなるのか、と考えるとこんな風になります。

例えば、今日の夕食の献立を考えようとします。

目の前の本棚に沢山のメニュー本や、食材を集めた本棚が広がっています。

それらを目の前にしながら、僕は「うーん、この魚と肉なら、今日はこっちの肉の方が食べたい。。そう、こんな大ぶりな肉!あ、もう6時だ。簡単に済ませたいな、、。あ、これは手間が少なそうだから、今日はこれが良いな!」

という具合に考えます。

目の前にある具体的な情報が広がったままになっているので、「肉か魚か」→「肉ならばどんな形状の肉か」→「手間のかからない肉料理はあるか」という論理を容易に展開することができます。

逆に、頭の中でイメージするだけでは、こんな肉料理もある、あんな魚料理もあるな、と先ず情報を広げることが必要であり、論理的に何を食べたいのかを容易に考えることができません。

 

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この意味において、僕はまだ書店はネット通販最大手のAmazonにも対抗することができると考えています。

Amazonは「何かを買う」という機能においてはみぎにでるものがいません。さらに顧客の購買データから適切なオススメをしてくる点からも、「自分が検索しない、予期せぬ本との出会い」という従来の書店の強みも少しずつですがキャッチアップしてきています。

しかし、Amazon最大の制限は「パソコン画面の大きさ」にあると思います。現状、多くのユーザーがパソコンで検索した情報を表示しても、頭の外に拡張できている情報量は画面1枚分に制限されてしまいます。すると必然的に、自分の頭の中で論理を展開できる余白を大きく広げることはできません。そこで求められる手続きは、今目の前に表示されている商品を買うか、買わないか。もっと安い商品はあるのか、ないのか。という二者択一の思考だけです。むしろ、深く考えなくてもAmazon側の投げかけてくる情報に反応していくだけで、ある程度希望の物が買えるという非常に直感的でスピードを追求したサービスである、ということです。(彼らのデータは僕の欲しいものを「知っている」からです。)

当然、誰にとっても現状Amazonは「最も便利」な購入ツールではある一方で、僕のように情報と情報の間につながりを見つけて一人喜ぶような人間からすると少し物足りなく感じてしまうのはこの為でしょう。

極端な話ですが、完全没入型のVR(バーチャルリアリティー)空間に限りない情報が陳列されているスペースが完成した場合、僕は迷わずそちらを選択するでしょう。何故なら一度買ってしまえば、紙でもデータでも情報の価値には大差ないと思うからです。

ですが、本を購入する体験にまで思いを巡らせてみると、様々な情報(不要な情報も含めて)に触れつつ、自分であれやこれやと頭を使いながら買い物ができる、という点で僕にとって本屋は非常に価値がある場所なのです。