個人経営のお洒落カフェでなかなかコーヒーが出てこないことについて。

ども。

 

突然ですが今日は僕の趣味の個人カフェ巡りについてのゆるーい論考です。f:id:Tabizo:20180209005003p:plain

不器用なのに何故かリピートしちゃう小規模経営のカフェについて書きたいと思います。

 

そもそも僕は休日になると個人の方が経営されている小さめのカフェに出かけてコーヒーを飲むことがよくあります。(主に、ブラックコーヒーを注文する)

 

なぜ好きかというと、こういうお店ってDIYをされていたり、店主の肩のこだわりの家具や本などが置かれていたりとチェーン店のカフェにはないなんとも言えない自由な大人の遊びココロが感じられて好きなんですよね。

あと収益を最大化したい!という分かりやすいオーラ(マーケティング)を感じさせていない素朴なところが東京の街角で簡単に見つけられる非日常だったりもします。

 

ただ趣味化している個人カフェ巡りでしばしば出くわすのが

「コーヒー1杯が出てくるのが、おせえ!!」という事態です。

ただ正確には

「あれ?そいえば俺、結構座って待ってるな。。あ、きた、あ隣の席か。次か、次俺か。ま、人少ないもんね。」ぐらいの感じなんですが。

別に、今日は文句が言いたい!っていうことじゃないですよ。

むしろ自分の中でハッキリさせたいのです。

 

「どうしてチェーンのカフェより提供がスムーズじゃないことは分かっているのに、また行こうと思えるのか」を。

 

だって、これは考えれば考えるほど不思議なことなのです。

 

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通常、お金を商品やサービスに対して支払う時には、その支払う金額と同等かそれ以上の「価値」があると判断された後にだけ売買が成立します。

 

つまり、コーヒー1杯の価値はもちろんのこと、店内のデザインや清潔さ、接客応対など様々な要素が積み上がっている価値と、自分のお金を交換するという行為を日夜繰り返しているわけです。

 

そのように考えると、例えばスターバックスコーヒーの価値は安定感があります。

コーヒーの味は好みによりますが、まず僕の中ではwifiの質や椅子の硬さ(尻がすぐに痛くなる)、本を読んでいても気まずくならない店舗のキャパシティーなどが利用を後押ししてきます。もちろんスタッフも笑顔で気持ちが良いですし、大きく待たされることはありません。僕はホテル運営の経験もあるので分かりますが、スターバックスの店舗オペレーションはスタッフ同士がとてもよく連携していて効率的に見えその点でも好感が持てます。

以前だと「ショートキャラメルフラペチーノ〜」などオーダーを受けたスタッフが他のスタッフに商品名の声がけを行い、スタッフ皆で復唱するというオペレーションがあったと思いますが私が過去1年ほどで行った少なくとも10数店舗では廃止しているようです。(おそらく全店舗廃止している)

これも顧客満足につながらない"無駄"は大胆に省いて店舗運営を効率化することは、最終的にはお客に提供する価値を高めることになりますから、僕から見える部分では非常に良い企業文化が根付いているんだなぁと言える筈です。やはり僕は、繁忙時に利用する際はもちろん別ですが、店舗側の努力なしに不当に待たされたりするのは価値が低いと感じリピートしない"面倒な客"なのです。

 

話を戻して個人経営のカフェですが、概ねご夫婦か、もしくは仲間やアルバイトのスタッフを入れても2〜5名程度で運営されているところが多いように見受けられます。

その分もちろん席数は少なく設定されていますが、それでも入店が重なればメニューをお客に渡すタイミングも遅れてしまいますし、その後のオーダーテイクや料理提供までどんどん後ろにずれ込んでしまいます。

ただ自分でも不思議なのは、このときに効率性魔人である僕がそんなに嫌な気分になることなく大人しく待ち、美味しいコーヒーを楽しみ、そしてまたリピートしたりカフェ巡りに出かけたりしているということです。

インターネットである人の投稿を目にするまで、長らくこれは謎でした。

 

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それは起業家であり投資家の堀江貴文さんが発信されていた

「飲食店の本質はコミュニケーション」という趣旨の発言です。(細かくは覚えていません。)

その時はなんとなくそんなもんかなぁと思っていただけですが、色々な人たちの本を読んだり自分で実際に体験したりしていく中でその言葉の意味が分かってきました。

 

端的な言葉になっているかは分かりませんが、

僕は、小さなカフェで頼んだコーヒーを待たされているときに

お店の店主の方と店員さんを「応援」していたのです。

 

僕にメニューを渡せずに他のことで手間取っていましたし、

別のお客への飲み物も少し待たせているようなときに

またお店の入り口に新しくお客さんが入ってきて待っています。

そこに駆け寄り申し訳なさそうな笑顔で声をかけている自然体の店員の方たちの姿。

なんならメニューはここに置いてあるものを見ておきますね、と手間をかけさせないように声をかけたくなったタイミングで謝りながらメニューを渡してくれました。

 

これは先ほどのスターバックスコーヒーの例とは全く異なる「価値」を僕に与えてくれているということがよく分かります。

それが特定の誰かを「応援する」というコミュニケーションの価値なのだと思います。

もちろんこれは寄付をあげるような慈悲深い活動ではありません。どちらかというと推しメンの地下アイドルを応援するような気持ちでしょうか。

冒頭で触れましたが、僕は普段はビジネスの収益最大化のために市場とにらめっこをしながら日々頭をひねって(かかえて)いますから、こういったお互いの表情を確認し合えるような距離のカフェは貴重な場所なのだと思います。

ですから逆に、スターバックスコーヒーのように圧倒的に効率化された提供オペレーションで、サクッと笑顔ではいどうぞ!では物足りない自分もいたのだということに気づかされました。

 

そんなところにも自分は価値を感じるんだな、と。

待たされたいニーズなんてどんだけ"面倒な客"なんだ、と。