他人の当たり前を押しつけられたら、「これはシメた!」と考えよう。
ども。
「自分の当たり前を、他人に押し付けてはいけない」とよく言います。
自分と他人は「違う」人間だからです。
一方で、「自分がされて嫌なことは、相手にもしてはいけません」とも言います。
自分も他人も「同じ」人間だからです。
ざっくりとこんなイメージです。↓他人同士似ているところもあれば、違うところもある、というどちらも正しい2本の言葉が同時に存在している状態です。
たびぞーは心理学者ではないので、あくまで各領域が重なる割合についてはよく分かりません。
ただ、少なくともこの図から自分の嫌いなことだけはなく、自分の好きなこと(=嬉しいこと)でも、相手をいやがらせてしまうかもしれないってことがよく分かります。
たびぞーは英語が大好きだから、絶対格安のオンライン英会話は良い!と友人にオススメしても、その友人は「なんでお金を払ってまで人と話さなきゃいけないんだ!」と感じる読書好きかもしれません。
ですが、これはあくまで自分が相手に対してどうするかの話。大抵の人は普段から気をつけていると思います。
ほんとにこの図で大事なことは、相手が当たり前を押しつけてきたときの話ですよ。
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つまり、自分の「当たり前」の外にも、「喜び」は必ず在るってことです。
日本の会社には、内定式というのがあります。大体そんなところのお偉い人の話なんてのは早々に忘れ去ってしまうものですが、たびぞーはそこで強烈に他人の当たり前を押しつけられたことを今でもよく覚えています。
神妙な顔つきで登壇されたその人事部長は言いました。
「皆さん。本を呼んでください。」
恐らく日本のトップかその次の大学を卒業しているそんな人でも、割と普通なことを言うもんだな、程度の感想でしたが、
何を隠そう、たびぞーは本といえばハリーポッター他読みやすい小説だけを人生で30冊読んだかどうかというぐらいの非常に薄い読書歴しかありませんでした。(実家はむしろ漫画喫茶状態)
ただ、奇跡のトーク力だけで勝ち取ったその会社の同期には、無数の秀才たちが勢揃い、藁をも掴む思いでそのエリート部長のアドバイスを実践してみました。
当初は、自分に活字なんか絶対無理!漫画と動画最高!と逃げ回っていた現代っ子のたびぞーでしたが、今は「やっぱり他人の言うことは聞いてみるもんだ」という気持ちで一杯です。
家には書斎スペースをこしらえて、せっせと興味のある本を読んでは日々色々なことを考えられるようになりました。あー幸せ。
この例のように、「当たり前」の外は今の自分では気づいていない価値ある物事で溢れています。そして今あなたに何かを「押しつけてきた」相手は、その価値を知っている人なんです。
でも、それが何であれ、きっと最初はやれどもやれども違和感を感じることでしょう。
だって自分はそんなもの眼中にも入っていなかったんだから。
ですが、その違和感こそが自分の世界をガシガシと押し広げている証拠です。
だから、たびぞーは他人の押しつけにはなるべく積極的にのっかるべきだと思うのです。それで一度やってみて、嫌いだと分かるだけでも、自分の「当たり前」の赤い領域は確実に広がります。↑
この赤い領域の広さこそが、その人の人生の厚みです。
冒頭で書いた、人間は似ているところもあれば、違うところもある、ということについても、どんどん自分の世界を広げていけば、それで殆どの人と気持ちを共有できる「デッカい」人間にだってなれるのです。
だから、他人の「当たり前」は、ぜひ一度積極的に取り入れてみましょう!ね!
チャーお!